「人新世」の時代に - 「東洋思想」からの提言

趣旨

なぜニュースレターを配信するに至ったか。

第一章

  • 1995年のノーベル化学賞受賞者の大気化学者パウル・ヨーゼフ・クルッツェン(Paul Jozef Crutzen)は、地質学的に新たな時代「人新世」(Anthropocene)に入ったと述べました。

    2000年という、まさに21世紀の幕あけの年に発せられたこの発言が、20年経ち、いまコロナによる重圧の下に暮す私たち、さらにパンデミックに踠き苦しんでいる世界中の人々の現状を毎日テレビ報道で見るにつけ、より一層重大にして身近かな課題として迫ってくるように思います。

    人類による諸々の活動が危険な領域に入り、この地球上の生態系という秩序を崩し多くの他の生物を死に追いやり、絶滅さえさせています。それはやがて当の人類自体にも驚異的な災害被害をもたらし、結局のところは地球を壊滅的な状態へと陥らせる可能性さえあるのです。

    賞賛さえ伴って益々隆盛になりつつある「人工的」な諸活動による成果は、“人間に不可能は無い”といわんばかりに、自然をたちまちのうちにアスファルトとコンクリートのジャングルに変容させ、その活動は地球上はおろか、いまや宇宙にもその影響を及ぼそうとしています。
    とどまるところを知らない拝金主義による狂奔と征服欲の拡大など、人間の悪い部分が出ているとしかいいようがありません。

    “人間は少々傲慢になりすぎているのではないか”と以前からいわれていました。しかしこのコロナ禍で自分が死の危険に直面してみると、看過できないこととしてこの警告が改めて迫ってくるのを実感するのです。

    「人新世」という地質学的年代区分は、1万1千700年前の氷河の融解による「完新世」時代のはじまり、世界の海水面が120mも上昇した大変化から続く地質時代は、現在もまだ続いているという主張に対し、いや既に地球は次のフェーズに入ったという見方を表わしており、多くの科学者はこれに対して異議のないところだということですが、正式に国際層序委員会が認めている地質年代ではありません。

    しかし、現在の地球を被う、気候変動や地球温暖化など、また大気や海洋の組成の変化等を実感するにつけ、何か予想外の変化が、見えないところで起り進んでいるのではないか、という懸念を抱かざるをえません。手を拱いて見ているばかりでは、取返しのつかない事態になってしまうのではないでしょうか。

  • 地球に住む者としての心得として、まず、その環境汚染や破壊の現状をよくよく知ることが必要です。と同時に、一個の人間として出来ることは何かを探求してみることも必要なのではないでしょうか。今年の約一年間は、コロナによる自粛期間の引きこもりでしたから、これを活用しての自習の時間としました。

    最初私は老荘思想、つまり道家の思想に、タイ国バンコクの病院に入院中劇的に出会い、「老子」を生命保持のガイドとして毎日毎日救われたい一心で読むことからはじまりました。25才の時です。しばらく経って興味は「荘子」へと広がり、やがて老荘思想の確かな理解の為に、儒家へと進み、「四書五経」と接するうちに、そこに「漢籍」という大きな学問の大河のあることを知り、のめり込むようその魅力に取りつかれました。

    漢籍のより良い理解の為には、「仏教」をより深く理解することこそが重要であることを知り、中村元、玉城康四郎という先達に導かれて仏説の世界を渉猟し、合わせて禅仏教の魅力へと進み、秋月龍珉から鈴木大拙という巨人の説くところに接するうち、これまで学んで来た「儒家思想・仏教・道家思想・禅仏教」、これら全てがわが国日本に8世紀もの永きに渡って蓄積しながら、各々独自の成長を続け、さらに日本の伝統精神文化に与えた影響は計り知れないものがあり、その基底にある「神道」と共に、人類の知的資源といえるほどの「東洋思想」としての主張を明らかにし形成したということを知ったのです。

    気付いてみたら老子に出会ってから最早50年も経ってしまっているのです。この間ひたすら学ばせていただいた御礼にもなるし、「地球の危機、人間の危機」に対して微力ながら、この 「東洋思想(儒・仏・道・禅・神道)」 をもってその危機緩和、回避の一助を提供しようと思ったのです。

    江戸の幕末、西洋列強の襲来を「西洋近代思想の東洋思想に対する挑戦」と受け取り、五経「尚書(書経)」の深読みにより、「東洋思想をもって西洋思想を羽包(はぐく)んでやるのだ」と説いた横井小楠の気概に倣(なら)って、 ニュースレターにより、世界の人々に「東洋思想の説く大義」を明示したく思った次第であります。

    来年からのタオ講座の筆頭講義に「東洋思想(儒・仏・道・禅・神道)の出番がやっと来た」と称するものを据えましたのも同様の主旨であります。
    ニュースレターと講義、文章と説話の両方で訴えることにより、少しでもその趣意するところをご理解いただきたいと思ったからであります。

    以上、思うところを申し上げました。

第二章

  • われわれはいま、150年から200年に一度の大転換期の真只中にある。
    何の転換か。文明の転換である。「西洋近代思想」からの転換である。

    地球がいま存続の危機に瀕している。
    その実態を一つ挙げよう。
    温室効果ガスというものがある。
    二酸化炭素・水蒸気・メタン・窒素酸化物・オゾン・フロンなどだ。
    これ等が大気中にあって、地表から放射される赤外線(熱エネルギー)を吸収して、地球の気温を上昇させる。
    世界気象機関(WMO)の発表によれば、2019年の世界の平均気温は、産業革命前のレベルを1.1℃上回ったという。
    こうして気温が上昇すると、地球上で最も大きく温暖化するのは北極である。
    すると北極の永久凍土が融解しだすのだ。
    永久凍土は、石と土と氷が凍り付いたもので、温まると融けるというより、ゆるみ出す。
    軟らかくなる。永久凍土が軟らかくなると、それまで凍っていた微生物が再び活動を始め、数千年間凍土中に蓄積された動植物の残骸を分解して、二酸化炭素とメタンガスを放出する。
    北半球の凍土地帯は何と1670万平方キロメートルにも及び、氷のない陸地の4分の1近くにも相当するのだ。これが次々とゆるみ出すとメタンガス、つまり温室効果ガスを大量に放出し、地球温暖化は劇的に加速する。
    地球温暖化が進むと、更に凍土のゆるみを促進し、更に温暖化が進むという負のサイクルが回りはじめてしまうのだ。
    地球温暖化による凍土のゆるみは、海面上昇による陸地の減少ばかりでなく、激しい気候変動をもたらす。
    すると現在も既に大きな被害を起こしている大森林火災の頻発、年間降水量の増加や予測不能の大豪雨、一転旱魃地帯の増加などを招き、海水温度による海洋資源の枯渇なども加わり、食糧供給の崩壊を招く。更に経済や産業を支える資源の枯渇はいうまでもない。
    つまり経営資源が不足するわけだから、経済活動にも多大な打撃を与えることになる。
    気候変動の各種のデータは、同じ傾向を示している。どれもが「産業革命」以後に悪化の数値が飛躍的に増加しているのだ。
    文明社会の象徴である産業革命が、いまや経済の崩壊の主原因にもなろうとしているという事実である。

    しかしもっと問題なのは、地球上で生息している生物は、人間ばかりではない。人間以外の生物の方が断然多いのである。
    人間優先で、人間の生存だけ考えても、以上の様な大きな危機的状況がある。
    人間以外の生物の領域への、人間の活動による弊害については、多くの科学者の研究成果が明確に立証しているところである。
    他の生物からすれば、人間は「傍迷惑」な存在という程度から、既に「生殺与奪者」になってしまっていることを、見落してはならない。
    「人新世」という言葉を使わざるをえないほど、事態は悪化しているのだ。

  • 東洋思想の根幹を成す考え方に「陰陽論」がある。
    この世の万物は全て陰陽が和して成り立っている。勿論、陰ばかり、陽ばかりというものもあるが、完璧なものは陰陽両方を含んでいるものだ。
    物質ばかりでなく、もの事の趨勢についても陰陽がある。そうしたことを表わす章句に次の言葉がある。
    「陽極まれば陰となる。陰極まれば陽となる。」
    もの事も、最初は善い事(陽)であっても長年の間には限度が来て、悪い事(陰)に変ってしまうといっているのだ。
    これがこの世の道理である。
    陽は「拡大発展」を表わし、陰は「充実革新」を表わす。
    したがって最初は社会的進歩の為には有効有用であった文明も、限度限界が来れば、むしろ弊害をもたらす事となってしまうのである。
    そうなれば「革新」が必要となる。更なる「充実」が必要となる。
    現在その大転換期の真只中にいて、これまでの文明の見直し、革新の時を迎えているのである。

    近代西洋思想に変わるこれからの人類の指針として挙げられるのは「東洋思想と西洋思想の知の融合」である。
    東洋思想の考え方、知慧と西洋思想の知識、知見を融合した理念をもって地球を運営したらどうかということだ。
    東洋は内側。インサイド(inside)、人間の心や精神を永年重視して来た。これに対して西洋は外側。アウトサイド(outside)、外見、見せ方、普遍性などを重視して来た。内面と外面の探求といえる。東洋と西洋は、つまり相互補完関係にあるのだ。まさに「陰陽の関係」なのだ。
    地球を救い、他の生物への気配りの為には何が最重要なのか。人間が価値観や暮し方を変えるしかない。
    これは容易なことではない。しかし人間は、中世から近世、近世から近代の転換も見事にやったのである。
    地球存続の危機がもうそこまで来ているとすれば、そんなに残された時間はない。一刻も早くスタートを切る必要がある。
    人間が自ら起こした危機を何としても回避し、後世の人々に住み良い地球を残す為に一人一人の人間が自分の出来ることから始めようではないか。私はその一助になるであろう東洋思想の知慧を提供しようと思う。

第三章

  • 「人新世」気候変動に関する各種データを読み込んで、真っ先に感じるのは、その多くが「産業革命」以降に悪化の数値が飛躍的に増加していることだ。
    これは明らかに「近代西洋思想」がその淵源であることを表しているのではないか。
    ではその近代西洋思想のどの様な考え方がいま是正されるべきものとして指摘すべきことなのか。
    近代西洋思想を代表する言葉を一つ上げろといわれれば、近世哲学の祖といわれるデカルト(Rene Descartes)が「方法序説」(Discours de la methode)で述べた「われ思う、ゆえにわれあり」(Cogito ergo sum)であろう。
    あらゆることすべてを懐疑し否定すると、否定されないものが残る。
    それが考えている自分、考えている自分の存在は疑えない」というのである。
    ここから近代社会が出発したといっても良いだろう。
    しかし、東洋思想からいえば、重大な問題を指摘せざるをえない。
    自分、すなわち私を唯一確証できるものとすることは、自分以外の存在と区分し分離してしまうことになる。
    つまり「自他分離」の考え方が生まれてしまうのではないか。
    自分と他の存在と分離して考えることは、いい換えれば、自分を主、他を客と考えることになり、「主客分離」の価値観が生まれてしまうことになる。
    それは、自分第一、自分優先となり、他は単なる自分を支える存在と見るようになる。
    そうなれば、自分以外の生きとし生きるものを尊重するなどの考え方は薄くなり、やがて自分の生存の為には犠牲になってもしょうがないものと思うようになる。

  • 今日、地球温暖化を始めとする地球環境の破壊的行為の原点には、自分の利益の為、自分の欲望を満足させる為には、それにより破壊される自然環境や他の生物の絶滅などは考慮する必要がないという態度や行為が見られる。
    この自分第一、自分優先の考え方の原点には、自分が主で他は自分を支えるもの客であるという「主客分離」の考え方があり、そのまた大元(おおもと)には「自他分離」の思想があるのではないだろうか。
    東洋思想は「自他非分離」の思想であり、他者が存在しているから自分が存在することが可能なのだ。
    他者を斬り捨ててしまえば、やがて自分も存在できなくなると考える。
    更に「主客非分離」であるから、この世の生きとし生ける者は、どれ一つ欠けても全体が成り立たなくなると考える。
    仏教でいえば、阿弥陀如来の前では、万人万物平等であるとする。
    そして「草木国土悉皆成仏」として、自然の草木は勿論、山や川、森や海も皆生きものなのだという考え方をしているのだ。
    生きものということは生命(いのち)を持っているということだ。
    そこには多くの生物との共生、多くの自然との共存の考え方があり、だからこそ我々人間は生を保つことができていると考える。
    以上少々触れただけでも、東洋思想には、直面する地球や自然の危機を回避し、解消に向かわせる知慧が溢れている。
    直面する地球や自然の危機の為に何が不可欠なのだろうか。

    私は地球上の多くの人々の価値観と暮し方(ライフスタイル)の変更が決め手と考える。
    そしてその為には、考え方、思想哲学を変えなければならないと主張している。
    その為にこそ東洋思想を役立ててもらいたいと思い、ニュースレターを配信するものである。

トップページへ

このページのトップへ
ご登録はこちら